セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンのストライダーへのメッセージに思うこと
言いがかりに近いかもしれないが思ったことを。
ストライダーのセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンモデルというものがある。
1台購入することで1,000円が世界の子供たちを支援する国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」に寄付されるというものだ。
色はピュアホワイトで、他のモデルにはない限定色である。
またストライダーは今年から上位モデル「スポーツモデル」を展開しており、従来のモデルは「クラシックモデル」として販売は続けられているが、この「セーブ・ザ・チルドレン」は新しい「スポーツモデル」をベースとしてリニューアルされた。
寄付の分、値段は多少上がるが、寄付にもつながるしまた限定色ということで非常に魅力あるモデルとなっている。
ここでこのモデルのために「セーブ・ザ・チルドレン」事務局長から寄せられたメッセージを引用しよう。メッセージはストライダーやセーブ・ザ・チルドレンの公式ページ等に掲載されている。
「この度は、『ストライダー セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン モデル』を通じたストライダージャパンによるご支援を賜ることになり、本当に光栄です。ストライダーは、子どもと共に成長するランニングバイクということですが、世界にはまだ、本来であれば防げるはずの病気や新生児期の感染症や栄養失調などが原因で、年間660 万人もの子どもたちが 5 歳の誕生日を迎える前に命を落としています。ストライダージャパンのドネーションプログラムによるご支援は、全ての子どもたちが成長し、自らの可能性を開花させることのできる世界を目指したセーブ・ザ・チルドレンの活動に有効に活用させていたただきます。」
読み飛ばせば何と言うこともない無難なメッセージに思われるかもしれない。
しかし、自分としては、何と言うかもっと言い方があるのではないか、と思った。
まず、「ストライダーは、子どもと共に成長するランニングバイクということですが、」の部分。「ということですが、」と伝聞形になっており、ひとごとのように感じられてならない。
支援されることが「本当に光栄」であれば、支援しているストライダー側を称える一文があってもいい。
まあ特定の製品にあまり肩入れしたくないということであればわからなくはないが。
そして最も違和感を感じるのは、この「ストライダーは、子どもと共に成長するランニングバイクということですが、」とストライダーを紹介する一文にそのまま続けて、「世界にはまだ、本来であれば防げるはずの病気・・・などが原因で、・・・子どもたちが5 歳の誕生日を迎える前に命を落としています。」という文章をそのままつなげている点だ。
これではまるで、ストライダーを買える家庭は子どもが成長することが当たり前だと思っているが、世界にはそうではない子どもがたくさんいるのだ、と言っているように感じるのはうがち過ぎであろうか。
さらにストライダーの対象年齢は5歳までとなっており、そのことも踏まえて「5歳の誕生日を迎える前に」という部分が書かれているのではないかと思ってしまう。さすがにそこはかんぐり過ぎだろうが。
いずれにせよ、「ストライダーは、子どもと共に成長するランニングバイクということですが、」の部分は全く必要ない。この部分さえなければ無難なメッセージとして読める。
そもそもこの「ですが」の意味がよくわからない。特に意味のない接続詞を用いてでも、ストライダーを紹介する文と、世界で5歳の誕生日を迎える前に命を落とす子どもが大勢いるという文をつなげる必要はないだろう。
ストライダーをこれから買おうとして、さらに子供支援に協力できれば、と思う親がこうしたメッセージを読むといささか微妙な気持ちになってしまうのではないか。
一応ことわっておくと、セーブ・ザ・チルドレンは世界で最も歴史のある子供支援組織であり、様々な素晴らしい活動を世界で展開している。
そしてこのストライダーのセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンモデルは、冒頭のように寄付云々を別にしたとしても購入価値のあるモデルである。
だからこそ、こうした素晴らしい取組みに少しでも水を差しかねないこうしたメッセージを読むと非常に残念に思うのだ。